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Feb 25, 2006

佐賀、長崎旅行2日目(2)・名護屋城

 烏賊料理の昼食の後で、近くにある名護屋城に寄った。名護屋城は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に作られた城だが、関が原の戦いのすぐ後に解体されてしまったため、現在は石垣しか残っていない。それで、あまり期待してはいなかったのだが、実際に行って見ると、その規模の巨大さに圧倒されてしまった。当初は大手門跡だけみて帰るつもりだったが、本丸まで歩き、秀吉も眺めたであろう朝鮮に続く海を自分も眺めてみた。400年前の夢。文禄慶長の役の50年後に、人口60万の満州族に明は滅ぼされてしまうのだから、秀吉の夢も誇大妄想とは言い切れない気がする。
 一つ気になったのは、隣接する佐賀県立名護屋城博物館のパンフレットの記載。そこには、「秀吉がもくろんだ」「これが原因で交流が途絶えた」など、明らかに韓日友好?の視点から秀吉を悪人として断罪する文章があった。ちょっと、日教組的イデオロギーの臭いが・・・。佐賀県の職員労働組合は元気そうだ。

 帰宅してから思い出して、佐賀県のサイトを見ていたら、あった。佐賀県立名護屋城博物館の概要というページ。そこには、こう書いてある。

名護屋城博物館は、文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱、1592〜1598年)を侵略戦争と位置付け、その反省の上に立って、日本列島と朝鮮半島との長い交流の歴史をたどり、今後の双方の交流・友好の推進拠点となることを目指して、1993(平成5)年10月30日、名護屋城跡に隣接する位置に開館しました。

 「侵略戦争と位置付け」って、ちょっと馬鹿かな、と。400年前の出来事に現代的定義の解釈をして、それで反省って、本気なんだろうか。それなら、800年前の元寇は、高麗(朝鮮)の忠烈王がクビライに執拗に勧めたために始まったのだから、朝鮮は、元寇時の日本侵略を反省しる!(藁)・・・みたいになるのか?。ならんだろ。

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 遠くまで続く石垣。

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 名護屋城から対馬海峡を望む。

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